学校で一番苦痛な時間
今週のお題「給食」
給食と言えば「不味い!」もうこの一言に尽きますね
あんな不味いものを子供に食わせて、好き嫌いを増殖させた張本人が「給食制度」です。まじで責任問題ですよ。未だに恨んでいます。
学校の先生も一緒に食べていましたが、彼らはそれも仕事の一環ですから、我慢もできたでしょう。
不思議なのは、給食を作っていた人たちです。あの人たちは味見をしていたのでしょうか? もしそうだとしたら、完全に味音痴です。
「わざと不味いものを作ってやるぞ!」と思ってもあんなひどい食事を作るのは難しいでしょうね。想像を絶する不味さでしたから。
私は大阪市内の小学校へ通っていたのですが、おそらく大阪市内の小学校が日本で一番まずい給食を出していたと思います。
ちなみに私は今63歳ですから、昭和33~4年ごろから昭和38~9年ごろです。
最悪は「脱脂粉乳」
これはもはや人間の口にするもではありませんでした。
内緒で流しにすてていた生徒たちも多かったのではないでしょうか。
私は一応真面目な小学生でしたから、まず息を止めてこの「脱脂粉乳」を一気飲みしました。そしてすぐになにかその辺のおかずを口に入れて、咀嚼し、ようやく息をしたものです。荒行でした。それでも脱脂粉乳の嫌な味が口の中に残っていました。
したがって、もちろん今も牛乳が大嫌いです。
身長が低いのは、中学の伸び盛りに牛乳を飲めなかったせいです。
たまに薄い牛乳が脱脂粉乳の代わりに提供される時がありましたが、これもすこぶる不味かったですね。まだ覚えています。「山根牛乳」と言います。
犬も食わないコッペパン
これも人間の食べ物ではありませんでした。
こんなパン、どうやったら作れるのでしょうか。当時のパン職人はホントに最低でしたね。プロの自覚があったのでしょうか。
硬くて味がなくて、冬にマーガリンをつけてストーブで焼いたら、やっと何とか人間の食べ物という気がしました。
あんなもの、当時の野良犬でも食いませんよ。
だから、未だにパンは嫌いです。
とにかく早く終わらせる
早く食べてしまえば、そのあとの休み時間を有効に使えます。
だから、とにかくなるべく鼻で息をしないで食べ、一気に食べ終わりました。
私はいつもクラスで1~2を争って食べ終わっていました。
豚のえさの脱脂粉乳を一気飲みし、パンに、屑みたいな野菜の炊いたようなおかずをつけて、ぐちゃぐちゃにして口に押し込み、おしまい。ゆっくり味わってたりしたら大変です。気分が悪くなってきますからね。
後で水飲み場で口をゆすげば「学校で一番苦痛な時間」の完了です。
カレーやシチューが上手かったとか言う人がいますが、私は給食がうまいと思ったことは6年間一度もありません。この人たち、味覚がどうにかしてしているとしか思えません。私にはある意味拷問でしかなかったですね。
不幸な時代に生まれたものです。