大きな勘違い! 会社を辞めても自律神経失調症が治らなかった話
会社を辞めたら治ると思たら大間違い
相変わらず朝は辛いし、暇になっても特に何もやる気は起こりません。
明日も休みなんだから、眠れなくてもいいのですが、眠れません。
気持ちが落ち着かなくて、眠れないし、あれほど楽しみにしていた、寝る前の読書も読むペースががくんと落ちました。
午前中は体が動かず、ぼーっとしています。
月曜病はなくなったけど
競馬が結構好きで、3時過ぎになんとなく見てると「この人たちは明日は休みなんかな~」て、とてもうらやましくて、いっそ日曜日に働こうかと思うほど、月曜日が恐怖でしたが、毎日日曜日だとさすがにそれはなくなります。
曜日の感覚が麻痺して、「山あり谷あり」がなくなってしまうと、今度は「楽しみ」がなくなります。
少なくとも働いているときは、休みが「楽しみ」でしたが、毎日休みだとホントに楽しみがなくなるんです。何が楽しみなのかがわからなくなります。
谷は必要
なにか「これが終われば楽になる」みたいなものが、いわゆる「谷」ですか、それがないと、絶対に「山」はありません。
平坦なのは、以前は理想でしたが、いざそうなると、複雑です。
谷は嫌だけど、山がないの詰まらない。
詰まらないで済んだらいいのですが、そう単純に割り切れないのが、「病気」なんでしょうね。
予定は負担
何の予定もないのはさみしものですが、予定が入ると、これが結構負担になります。
気になって仕方がないのです。
例えばどこかへ出かける予定なら、果たしてその日は体調は大丈夫か?
もう、心配で心配で。
以前から外出は苦手でしたし、基本的に乗り物がだめです。人込みもだめ。
しかし、会社を辞めてからは日を追うごとに外出が苦手、出不精になっていきました。
何もなければ、ちょっとした心配事を無理やり探して、気を病む。とにかく毎日心配事探しをしているようなものです。
あっちこっち具合が悪くなる
会社を辞めて最初の病気にのようなものと言えば、下腹痛です。
左の下腹がずっと痛くて、でも下痢でも便秘でもなく、1か月ぐらい我慢してほっといたでしょうか。
治りそうにないので、近所の医院に行って、CT検査の紹介状を書いてもらいました。
ところが、検査の当日までに症状が治まり、結局検査を受けましたが、もちろん異常なし。
2か月近く胃が痛かったり、1か月ぐらい腰痛で辛い思いをしたり…。
毎日の恒例の症状はまず、朝、えずきます。結構慣れましたが気分は不快ですし、それなりに苦しいものです。
だいたい午前中は頭がぼーっとしています。朝食後は動悸がして、そして、伝家の宝刀「デパス」の出番となります。
まあ、午後からはなんとなく動けるようになります。
まあ、一番の楽しみは缶ビールのプルトップをプシューッとあけて、ぐびぐび、とやる瞬間ですかね~たまりません。今やこのためだけに生きているようなもんです。
次回は薬の話をしましようか。SSRIとかγオリザノールとか。
会社員時代の心身症…5 月曜日が怖い。。定年前に属託になったけど
めまいは原因不明のまま何となく治る
歩くのが困難なほどのめまいは1週間から10日ぐらいで治まりました。
会社へもしばらくは午後休で対応し、徐々に普段の勤務に戻りました。
確か中間決算と連結決算の資料を作っていたころだった思います。
特に連結決算はストレスでした。一番苦手な仕事でしたね。
まあ、そのあたりが一段落したころには、ほぼ2週間に1度ぐらいの通院で、日常生活にも支障なく、どうやら「完治」したようです。
充電が切れてきた
2年間の休息でかなり充電できたような感じでしたが、5年も6年も経つと、そろそろその充電が切れてきたようでした。
もう、心が休まるのは金曜日の午後あたりからで、日曜日はもう朝から憂鬱。
午後になると、もう休みは終わったも同然でした。
「明日は仕事か」の思いがずっと頭の隅のどこかにあり、全く気が休まりません。
結局、気を紛らわすためにアルコールが度を過ぎ、余計に月曜日が辛くなるという展開になって、もう悪循環です。
経理から損害保険の仕事に異動
仕事と同僚が変わり、少し気分も変わった感じでしたが、長くは持ちませんでした。
もう少しで60歳。定年まではなんとしても頑張らないと!
昔は病気以外で有給休暇を取るなんてなかったのですが、この頃は仕事の隙間を狙って、バンバン有給休暇を取得していました。
午後休の朝はとても気が楽でしたね。モチベーションは「定年まで」これだけです。
やっとこさ定年
もう35年以上働きましたが、会社へ行くのが楽しいとか、仕事が面白いとか、そんなこと一度も思った記憶がありません。
毎日、毎日、辛抱と我慢の連続です。ホントにここまでよく持ちました。
アルコールとデパスがなかったら、とっくにギブアップしていたでしょうね。
嫌いな言葉は「努力」と「根性」です。私には生憎持ち合わせていませんでした。
ちょっとでもあればもう少し会社生活も楽だったかもしれませんね。
ずっと通っていた心療内科も、この定年の少し前ぐらいに通院するのをやめています。
心療内科では治らない
話聞いて、薬をあれこれ変えるだけで、結局デパス以外は効果のある治療は何もありませんでした。
一番効果がないと思ったのは「漢方薬」ですね。
これは論理的に何か根拠があるのでしょうか、それともただの統計資料でしか効果を提示できないのでしょうか。
「のどの詰まった感じを解消する効果がある」なんて効能書には書いてありますが、ガスターとかSSRIのような論理的説明は何もありません。
胡散臭いです。
1年契約の嘱託
退職金ももらい、それで家のリフォームもしたし、まあいつ辞めてもいいのですが、満額の年金がもらえないので、理想は65歳までなんとか…。
だましだまし、適当に仕事をして、やる気がなければ休暇を取り、なんとか不始末だけしないように働きましたが、モチベーションの低さはひどいものだったと思います。
結局、2年でリタイア。ホント辛抱の足らん人間ですわ。
【ワシの闘病記 会社員時代編】
会社員時代の心身症…4 まさかの職場復帰、そして“めまい”
もう完全に諦めていました
休職して1年ぐらい経つころには、「職場復帰は無理かな」と思い始めていました。
一向に良くならない体調のこともありますが、仮に復帰できるまで回復したとしても、会社がそう簡単に受け入れてくれるかどうかわかりません。
私は入社以来ずっと事務畑でしたので、50歳で全く畑違いの仕事をするのは無理ですし、ましてや病み上がりではなおのことです。
かといって、私が復職するときの運よく事務畑の空きがあるなんでうまい話があるとも思えません。
ところがうまい話があったのです
経理の女の子が結婚で川崎市(旦那の勤め先)へ転居するため、寿退社することになりました。私の会社は勤務先が大阪に限定されますから。
2002年5月(休職から1年半ぐらい経っていました)の連休明けから、ぼちぼち引き継ぎをかねて勤務することになりました。
「ぼちぼち」というのは、朝から午後2時までとか、午後から夕方までとか、しかも毎日行くわけではありません。確か週に2~3日ぐらいだったと思います。
もちろん、デパスは常にポケットに入っていました。
まだ、傷病手当金が支給されていましたから、交通費だけもらって無給で気楽に仕事を始めた次第です。
8月から正式復帰
7月で傷病手当金の支給が終了しますので、8月1日から正式に復帰ということになりました。
試運転期間が3か月ありましたが、フルタイムでの勤務はほとんど経験していませんので、もう不安いっぱい、全く自信がありませんでした。
通勤の電車も各停しか乗れませんし、混雑を避けてかなり早く出社していたと思います。
確か8月12~3日ぐらいから、5日間ぐらい夏休みがあったと記憶しています。
「何とかそこまで頑張ってみよう」あかんかったら、辞めよう。
夏休み明けに出社できなければ、そこで諦めよう。
身近な目標だけみて、その先は考えないようにしました。
夏休みを乗り切ったら、8月いっぱいまで。
年内、正月明けを乗り切ったら、3月まで。
次の関門はめまい
こうして、5年ぐらい、なんとか仕事を続けることができました。
帰りだけは急行にも乗れるようになり、少しずつ電車に慣れていきました。
散髪も10分でできるところで。10分だと思うと、気分的にものすごく楽でした。
人数の多い飲み会は遠慮しました。
そして、
ある日の夕方、突然激しいめまいに襲われました。
しばらく様子を見ていましたが、「救急車をよびますか?」と上司に言われ、「お願いします」。さすがにデパスを飲んでも、どうにもなりませんでした。
生まれて初めて、救急車に乗りました。
点滴では治まらず、1日だけ入院。いったん自宅へ帰りましたが、めまいは治まりません。原因不明。
「こらあかんな~」今度こそ退職を覚悟しました。
【ワシの闘病記 会社員時代編】
会社員時代の心身症…3 休職中、わらにもすがってナゾの宗教体験!
休職中にもう一つ、わらをもつかんだ話
休職中はいろいろな方から電話をもらいます。
学生時代の友人はもちろんのこと、会社の同僚からも、最初は頻繁に電話があります。
内容はほとんどが体調についての質問です。
また毎日何してるのかとか、仕事の話もありますし、近くにいるから「昼飯たべよ」なんてのもありました。
ゴルフの打ちっぱなしに誘ってくれたり、落語を聞きに行ったり、ホントさまざまです。
お誘いは出来るだけ断らないようにしていました。せっかくの好意は大事にしたいですからね。
「宗教のようなもの」のお誘い
病気で休むと結構こういうお誘いがあるようですね。
会社の同僚から「ちょっと家に行ってもええか?」て、電話がありました。
そして、夫婦でやってこられました。
その日は世間話や体調の話をし、最後に、私に「手をかざして」帰りました。
やがて、次は「一度話を聞きにいかないか?」
となり、結局たまたま歩いて行けるところに「道場?施設?」が偶然あったものですから、そこへ行って話を聞き、手かざし体験なるものも道場みたいなところで、「施術?」されました。(?正式名称は完全に忘れました)
たしかその際「お布施」のような形で100円か200円、寄付をしたと思います。
友人の顔を立てて
私の同僚は「信者?」ではないようですが、その奥さんはその組織では結構ランクが上の方のようでした。
まあ、せっかく勧めていただいたし、乗り気ではなかったものの、わらをもつかむ(実はそんな気持ちもなかったですけど)気持ちで、しばらくその施設に通いました。
とにかく「断る気力」がありませんでした。
とりあえずOKする方が楽でしたから。
歩いて10分か15分ぐらいかな。散歩ついでに何日かおきぐらいに手かざしをうけに行きました。
これは拒絶反応?
4~5回ぐらいは通いましたかね。
で、結果的には最後の日になりましたが、その日の翌日に高熱を出しまして(インフルエンザではありません)寝込んでしまいました。
よっぽど私に向いていなかったのでしょうね。
たぶん拒絶反応だったと思っています。
生まれてこの方、神も仏も信じたことが一度もありませんでしたから、所詮無理ですわ。
結局、わらに終わったという話でした。
【ワシの闘病記 会社員時代編】
カウンセリングは役に立ちません
診療心理士では治りませんよ
話は少しさかのぼりますが、休職する少し前に、心療内科から診療心理士を紹介されました。
わらをも(診療心理士はわらでした)つかむ気持ちで、紹介されたカウンセリングを受けることにしました。
これは保険が適用されなせんので、かなり費用が掛かります。たしか1回5~6000円ぐらいやったと思います。
話を聞いて適当なアドバイスをするだけ
診療心理士は正式な医療行為ではありません。
治療をするわけでも薬を処方するわけでもなく、ただ話を聞いてくれるだけで、最後にまとめとして、適当なアドバイスをしてくれます。
最初に行ったときに「こんなんで治るのかな?」と疑問を持った記憶があります。
ワンクール5~6回だったと思います。
話は逸れますが、「名探偵モンク」というアメリカのドラマをご存知の方は、このカウンセリングの様子がよくわかると思います。
モンクは超潔癖症という心の病で、カウンセリングに通っています。
もちろん、名探偵ですから、あざやかな推理で「経緯はこうです!」と難事件を解決してくれますが、一方で、心の病を抱えているという設定で、自律神経失調症のおっさんにはとても心癒されるドラマです。
まあそんなわけでワンクールの無駄金を使って、結局何も変わりませんでした。
これがきっかけで主治医に不信感を持つようになりました。
うつ病の薬も試しましたが
このころから結構うつ病の新薬が開発されていました。
記憶があいまいなんですが、私がこのころ(2000年ごろかな)試したのはドグマチールかな。パキシルはもっと後だったように思います。
いずれにしても、私はうつ病ではありませんので、全く効果はありませんでした。
うつ病と自律神経失調症では根本的に治療方法が違うと思います。
うつ病患者は、その原因が結構解明されていますので、抗うつ剤が劇的に効くそうです。
自律神経失調症は中途半端な病気で、パニックなんかともよく似ていますが、どうも根本的な治療法も薬もないようですね。
会社員時代の心身症…2 ついに2年間の休職
ついにギブアップ
発病?してから5年ぐらいは「だましだまし」何とか通勤していましたが、だんだん急行に乗るのが不安になったり、会社へ行ってもほとんど仕事にならなくなったりで、このままではだめかな~て思うようになりました。
デパスにも限界があります。
それでも、まあま調子のいい日もあれば、かろうじて会社へ行くだけで、力が尽きる日もありで、そんな繰り返しがしばらく続きました。
やがて、欠勤も多くなり、朝から出社しても午後から早退したりで、1日しっかり働く方が少ないぐらいになりました。
そしてついに見かねた上司から「休職するか?」と言われました。はた目には相当ひどかったようですね。でも、正直「ホッと」しました。とても気持ちが楽になりました。
すぐに復帰できるように努力
だらだらしてたらそれに慣れて、「復帰できなくなる」と思い、朝は6時に起きて、近所の神社まで散歩を欠かしませんでした。
とにかく毎日、悪あがきを繰り返し、気は焦るばっかりで、思いとは逆にどんどん調子が悪くなり一方でした。
一応、6か月以内には復職しようと思っていましたから。
しかし、焦れば焦るほど逆効果。だんだん、どうしていいかわからなくなりました。
友人から電話
ある日、もう10年以上交流のなかった高校の同級生から、突然電話がありました。
「年賀状に休職した、て書いてあったけど、もしかしてうつ病か?」
どうやら彼はうつ病で半年会社を休んだらしい。
「絶対に無理はするな」て言われました。
焦ったってなるようにしかならないのだから、気の向くままにぼちぼちやったらええねん、という言葉には多少救われました。
そして、また彼との交流が再開されたこともうれしかったですね。
病気してたまにはいいこともあります。
無謀にも英会話
病気の先輩からは(前述の同級生)「そんなん、やめといた方がええ」て言われながらも、せっかくの長期休暇を無駄に過ごしたくないという気持ちで、1年間英会話教室に通うことにしました。
社会生活から隔離される不安もありました。
結論から言うと、これは失敗でしたね。病気の先輩のいうことは正しかったようです。
週1回だけのレッスンですがこれが大きなストレスになりました。
旅行が気分転換?あり得ない
心が健康な人には「気持ちがしんどい」おっさんのことは到底理解できないようです。
その頃の私には、気分転換なんて言葉は存在しません。
一番うれしいのは、何も考えずに、テレビ見て、昼寝して、たまにボケないように漢字パズルに熱中する、そんな毎日です。
将来の心配さえなければね~
そんなおっさんの気持ちは理解できませんよね。だから友人は「気分転換に旅行でも行こうよ」てしきりに誘ってくれます。
気持ちは嬉しい限りなんですが「旅行へ行けるぐらいなら会社へ行きます」。
電車にも乗れない、散髪にも行けない、そんなおっさんが旅行に行けるわけがありません。
しかし私はまだまだついていました。
大した努力もなく復帰できたのです。
それについては次回~
【ワシの闘病記 会社員時代編】
会社員時代の心身症…1 最初の異変は喉の違和感…最強の特効薬はデパスでした
最初に行った病院
20年ぐらい前ですから、おそらく平成5~6年、2000年まであと4~5年ぐらいの頃だと思います。
のどに違和感を覚えたので、まず、耳鼻咽喉科へ行きました。
のどをスコープで調べてもらいましたが、異常はありませんでしたので「精神的なものでしょう」ということになり、漢方薬を処方されました。
有名な「半夏厚朴湯」です。
これは全く効果はありませんでした。それから何種類かの漢方薬を試してみましたが、結局「これはあかんな」と思い、違う病院へ行くことにしました。
心療内科へ
20年も前だとなかなかそういう病院も少なくて、しかもネットなんて便利なものもありませんでしたから、探すのに苦労しました。
耳鼻咽喉科で「おたくでは治らないので、病院を紹介してくれ」と言えませんしね。
心療内科は、予約制ではありませんでしたので、混んでいましたね~。
最初は土曜日の午前中に行きましたので、下手をすると2時間待ちなんて時もありました。
こういう病院へ行くのはまだまだ抵抗のある時代でしたので、こんなに患者が多いとは、驚きましたね。
最初の病名は「心身症」
年配の方は覚えておられると思いますが、飛行機の着陸失敗で大事故を起こした「片桐機長」がこの病名でした。
もうこの頃はのどの違和感だけでなく、完全に「心の病」の自覚がありましたから、病名を告げられても、特に驚きはなかったですね。どんな病気なのかはよくわかりませんでしたけど。
実は、この頃の記憶はあいまいで、病院が混んでいたことぐらいしか覚えていません。
とにかく、なんとなく精神的に辛くて、わかってもらえるかどうかわかりませんが「気持ちがしんどい」状態でした。
昼ご飯を同僚と食べに行くのが辛くて、弁当を持参するようになったのを覚えています。
どうやら心身症の治療では、治らないようでしたので、また転院しました。
今度こそ直してくれそう
最初の問診の段階で医師は、結構自信があるような口ぶりでしたので、「今度は期待できるかも」と思った記憶があります。
残念ながら、期待は裏切られました。
「自律神経失調症」ということで治療を始めましたが、なかなか思うような効果は得られず、かといって悪化することもなく何年か定期的に通院し、「デパス」と出会いました。
即効性抜群の薬
精神安定剤はいくつか試しましたが、劇的に効果が感じられたのはデパスです。
この薬のおかげで、しばらく会社生活を「ごまかしごまかし」でも、なんとか勤めることができたように思います。
しかし、デパスでは根本的な治療は出来ません。所詮ごまかしの薬です。
眠くなるという以外に大きな副作用はなく、即効性があるので、服用している方が多いと思います。
そして、だんだん利かなくなってくるし、さらに病状が悪化していき、ごましでは会社へ行くのが無理。ごまかしがきかなくなって…
そしてとうと休職することになりました。たしか48歳だったと思います。
【ワシの闘病記 会社員時代編】